私にとっては、アントニオ猪木が演じ続けてくれたフィクションの世界と、駅のホームで携帯電話を耳に当てながら、深い礼を行なう営業マンは同じ世界である。
形こそ気持ちを呼び、動詞の感情を他者に与えるものだと思っているからだ。
携帯の向こう側に頭を下げるサラリーマンが、少なくとも、鼻をほじりながら、足を組み、上の空で、相手に調子の良い事をいっているわけでは無い。
愛情に盲目的な人間なパターンはいつの世も同じである。
心の中の本心だけを絶対化し、求め続けるのだ。
結果、人の心の中の絶対的な真実の気持ちだけを求め、真実とは程遠い部分への、失望が、孤独を呼び、愛の失望を感じさせるものだ。
しかし所詮、人の真実等、絶対的な利己主義の原則に基づいているものである。
そういう人の真実だけを追い求め続けるのが、今の世の愛の形だ。
しかし、人間には、群れをなす、ほ乳類としての絶対的な分配欲求が在る。
その分配欲求に基づいて、全てのほ乳類は他者を必至に舐め、動詞の愛を表現しようとする。
絶対的な無償の愛等、自分の分身の子供たちにしか有り得ないのに、人は皆、他者に親のような絶対的な真実の愛を求める。
人の世界で、分配欲求は他者への愛情表現、すなわち動詞の愛に昇華したのに、いまだ親の愛を他者に求める悲しい人たちがいる。
人間等基本的に乳離れした時から、孤独な存在である。
孤独だから、他者を必要とし、必要とした他者に、動詞の愛を伝えようとする。
遥か昔は、自分の餌を他者に与えていた分配欲求という愛の源が、何故、いつごろから、他者からの絶対的な愛を求めるようになったかは私は分からない。
自分の感情が常に優先し、他者からの愛ばかり求める人たちに、アントニオ猪木がフィクションとして動詞としての勇気・愛・英雄像を伝えてくれた姿の理解等出来はしないであろう。
私の父が私に読めと勧めてくれた李白の詩の世界を偶然、前田日明が好きだった事は驚いた。
他者との絶対的な距離感と孤独の中で、月を綺麗と思える共通点だけで、他者との中に刹那的な共感を見つけ、そして孤独からの解放を夢見た、私の父と前田の似た想いであると私は思った。
だからこそ人には優しくすべきだ。
貴方より肩身の狭い人がいるのなら、常に声をかけてあげるべきだ。
元気にしてるか?
どうや調子は?
肝心なのは、自分より強い思えると人間に対してである。
どうですか?調子は?
常に言ってあげてください。
そういう人は常に実は貴方より弱く、重い負荷のかかった人たちである。
自分が強い人間であれ、弱い人間であれ、人の熱量のこもった優しさに気持ちを動かされない人間はいない。
それが真実の気持ちであれ、どうであれ、それがほ乳類の分配欲求から昇華した絶対的な他者への愛の姿なのであるから。
愛とは隠した心の中にあるものでは無い。
私はアントニオ猪木が身を削って私に与えてくれた動詞の愛を持って、人に優しいと言ってもらえる人間になれた。
それはアントニオ猪木がフィクションであれ、どうであれ、完全な動詞の愛の世界を私に見せつけてくれたからだ。
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2008年02月28日
僭越ながら、当ブログの誉れ
当ブログをご紹介いただいたブログの方の一覧です。
大変嬉しく思います。
有難うございます。
深町秋生の新人日記様
blogのプロレス様
P-log「pasin.exblog.jp」様
on our way home様
プロレス・格闘技の散歩道様
ka-lei-do-scope weblog様
函館望郷ブログ Life is aJourney! 様
う゛ぉんぼやーしゅ様
30にして立たず様
そして、いつも御世話になっています
K-1心中様
まだまだ私の気づいていないサイトなどで当ブログをご紹介いただいた方々おられましたら、大変有難く思います。
また、本サイトの方に嬉しいお言葉を頂きました
ホビットの指輪様、有難うございます。
そしてブログは御辞めになられましたが、最初に、当ブログをご紹介いただいたpencroft
様有り難うございました。
私のブログはコメント欄を設けていませんので、ブログ主の方が御自分のブログで評価していただいたり、御読みいただいている方々からのメールでしか、記事に対しての評価は分かりません。
なので、大変それらは有難いものです。
今年の冬に大きな試合があり、また、ブログとは別の原稿への挑戦も始まっています。
(電子出版でなく、プロレス物でもありません…)
仕事も含め、一日一日が挑戦の日々となりそうです。
当然ブログも含めて。
そういう中で、大変嬉しい誉れとして、頑張ろうという気持ちにさせていただいた上記のブログ様をご紹介させていただきました。
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K-1心中様
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また、本サイトの方に嬉しいお言葉を頂きました
ホビットの指輪様、有難うございます。
そしてブログは御辞めになられましたが、最初に、当ブログをご紹介いただいたpencroft
様有り難うございました。
私のブログはコメント欄を設けていませんので、ブログ主の方が御自分のブログで評価していただいたり、御読みいただいている方々からのメールでしか、記事に対しての評価は分かりません。
なので、大変それらは有難いものです。
今年の冬に大きな試合があり、また、ブログとは別の原稿への挑戦も始まっています。
(電子出版でなく、プロレス物でもありません…)
仕事も含め、一日一日が挑戦の日々となりそうです。
当然ブログも含めて。
そういう中で、大変嬉しい誉れとして、頑張ろうという気持ちにさせていただいた上記のブログ様をご紹介させていただきました。
posted by shingol at 21:35| 管理人より
2008年02月21日
無学の意地
ならず者の父は、中学中退であった。
学歴が無いので、誰よりも、学識にこだわった。
父曰く、活字を追いかける人間は、テレビを観る人間とは異なる顔つきを作り出す。
なので、勉強等しなくて良いけれど本を読める人間になれと、さんざん言われ、私は育った。
色気がつき、グラビア雑誌を隠しておけば、これ以上無い怒りであった。
写真を眺め自慰に励む時間があれば、団鬼六でも読めと渡された文庫本の内容は、小学生の私には到底、理解など出来なかった。
私の長屋のおじさんたちが次々と消えた。
無学のならず者が、腕っ節だけを承認欲求の材料と出来ていた長屋から消えたのだ。
多くのおじさんたちは、無学故に、政治も、思想も、社会も、知らない、学識とは無縁の漢たちであった。
朝日新聞を読めば、自分の郷土とは、全く違う北の土地にも、理想の楽園が在ると信じ、無知故の情報の犠牲となってしまった。
以後、私の父は、無学を克服する為の、知識に、異常にこだわったらしい。
本当は李白と論語以外いらない父であったが、ひたすら政治・経済・社会学の本を乱読し続けた。
この世を支配するのは情報である。
そんな世から自分を守るのは知識である。
情報に対して批判的精神を保とうとする父であったが、それでも、テレビに映るプロレスや歌謡ショーを眺めながら、あるいは場末の酔客の群れの中で、飲む酒に、束の間の安らぎを求めた。
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学歴が無いので、誰よりも、学識にこだわった。
父曰く、活字を追いかける人間は、テレビを観る人間とは異なる顔つきを作り出す。
なので、勉強等しなくて良いけれど本を読める人間になれと、さんざん言われ、私は育った。
色気がつき、グラビア雑誌を隠しておけば、これ以上無い怒りであった。
写真を眺め自慰に励む時間があれば、団鬼六でも読めと渡された文庫本の内容は、小学生の私には到底、理解など出来なかった。
私の長屋のおじさんたちが次々と消えた。
無学のならず者が、腕っ節だけを承認欲求の材料と出来ていた長屋から消えたのだ。
多くのおじさんたちは、無学故に、政治も、思想も、社会も、知らない、学識とは無縁の漢たちであった。
朝日新聞を読めば、自分の郷土とは、全く違う北の土地にも、理想の楽園が在ると信じ、無知故の情報の犠牲となってしまった。
以後、私の父は、無学を克服する為の、知識に、異常にこだわったらしい。
本当は李白と論語以外いらない父であったが、ひたすら政治・経済・社会学の本を乱読し続けた。
この世を支配するのは情報である。
そんな世から自分を守るのは知識である。
情報に対して批判的精神を保とうとする父であったが、それでも、テレビに映るプロレスや歌謡ショーを眺めながら、あるいは場末の酔客の群れの中で、飲む酒に、束の間の安らぎを求めた。
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posted by shingol at 18:14| 私とプロレス
2008年02月16日
西中島南方から新大阪まで
私の父の会社は新大阪に本社が在った。
阪急沿線に住む私は阪急「西中島南方」の駅を降り、新大阪まで歩いて、父の会社に向かうのが常であった。
「西中島南方」を降り、風俗の呼び込みをほんの数分、無視して歩くと、早速始まる無機的な静かな道のりの中を黙って歩いた。
しかし、それがどんな道のりであったか、私は忘れてしまった。
覚えているのは中堅どころのホテルが在った事、そして、ホテルを越えると、JR新大阪の駅を、どのようにして越えるかを考えるややかしさを覚えた私の心内であった。
父の会社に着くと、早速、父の自慢話が始まった。
成人している私の頭をなでながら、「こいつは5歳のときに連れて行った韓国クラブのお姉ちゃんを見て、あそこを立てよったんや」と最初の挿話を堅気の社員たちに大声で伝えた後、私がレスリングに夢中になって取り組んでいる事、堅い仕事に就いてる事、真面目な事、酒に強い事、適当に遊び人である事を延々と語り続けた。
それは父が亡くなるまで5年続いたいつもの光景であった。
いつも最後に付け加える言葉があった。
「わしがこの世で怖いのは、こいつだけや」というお決まりの台詞であった。
私にすれば成人に達する前に既に土建ヤクザの小さな組織の長であった父の口から、私を怖いという言葉を聞くのは、何度聞いても分からない、不思議な台詞であった。
私が子供の頃、父の兄が、半ば強制的に、自分の子供を私の家に住まわせた。
いかに父が怖い者知らずの男であっても、悲しい事に、私の一族で年長者に逆らえる者誰一人いてなかった。
私の伯父さんが手放した、私の従兄弟のお兄さんは、14歳の年齢で出来る限りの悪さをし尽くした。
バイクの後ろに私を乗せ、夜の街を走り抜けた。
田んぼの中をバイクで走り抜け、足を引きずる年寄りを嘲笑った。
鶏小屋の鍵と戸を開け、数えきれない数の鶏を広大な田んぼに放った従兄弟は、その年寄りのこれ以上ない怒りの形相を快楽の道具として、バイクの後ろの私の両手を自分の胴に強く絡ませながら、どこまでもバイクを走らせた。
煙草を私に買いにいかせていた従兄弟に、私の母が気づいた。
私の母は何も言わなかったが、武庫川での乱闘キャンプに私を連れて行った時は、さすがに父に伝えた。
父が従兄弟を制裁した。
私が初めて見た暴力の原体験であった。
頬を引きちぎんばかりに握りながら、唾を飛ばしながら、父はひたすら従兄弟をののしり平手を数十回は食らわせ続けた。
従兄弟が「堪忍して下さい」と泣きながら媚びた後、父は従兄弟の身体をこれ以上無いくらい強く抱きしめた。
自分の兄からの依頼を忠実に遂行した父は、従兄弟を、後の名古屋の実業家に至るまで育て上げた。
あくまで表向きの実業家である。
成人してから合う従兄弟は、一目見て堅気の人間ではなかった。
それでも従兄弟は私を怖がっていた。
父の血を持ち、かつ、レスリングという闘う競技に没頭してきた私を恐れていたのだ。
私は従兄弟こそ、父の息子であるべきだと、思いつつ、世の中に法律があるから守られているのは実はヤクザだという父の言葉を思い出した。
法律があるからヤクザが威勢を張っていける現実を知っていたのは、しがない土建ヤクザの私の父でしかなかった。
父の会社のある新大阪から東京に出発した。
ルールのある競技で惨敗した私の戻る場所は、新大阪を経なければならなかった。
父の会社についた私が、レスリングを諦め、父の会社を継がして欲しいといった途端、父が血相を変えて私に言った。
レスリングという場所で一番に慣れない人間にワシの会社が継げるかと言った父の本意が、私にくらいは堅気の世界を全うして欲しいという願いである事が充分すぎるほど分かった。
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阪急沿線に住む私は阪急「西中島南方」の駅を降り、新大阪まで歩いて、父の会社に向かうのが常であった。
「西中島南方」を降り、風俗の呼び込みをほんの数分、無視して歩くと、早速始まる無機的な静かな道のりの中を黙って歩いた。
しかし、それがどんな道のりであったか、私は忘れてしまった。
覚えているのは中堅どころのホテルが在った事、そして、ホテルを越えると、JR新大阪の駅を、どのようにして越えるかを考えるややかしさを覚えた私の心内であった。
父の会社に着くと、早速、父の自慢話が始まった。
成人している私の頭をなでながら、「こいつは5歳のときに連れて行った韓国クラブのお姉ちゃんを見て、あそこを立てよったんや」と最初の挿話を堅気の社員たちに大声で伝えた後、私がレスリングに夢中になって取り組んでいる事、堅い仕事に就いてる事、真面目な事、酒に強い事、適当に遊び人である事を延々と語り続けた。
それは父が亡くなるまで5年続いたいつもの光景であった。
いつも最後に付け加える言葉があった。
「わしがこの世で怖いのは、こいつだけや」というお決まりの台詞であった。
私にすれば成人に達する前に既に土建ヤクザの小さな組織の長であった父の口から、私を怖いという言葉を聞くのは、何度聞いても分からない、不思議な台詞であった。
私が子供の頃、父の兄が、半ば強制的に、自分の子供を私の家に住まわせた。
いかに父が怖い者知らずの男であっても、悲しい事に、私の一族で年長者に逆らえる者誰一人いてなかった。
私の伯父さんが手放した、私の従兄弟のお兄さんは、14歳の年齢で出来る限りの悪さをし尽くした。
バイクの後ろに私を乗せ、夜の街を走り抜けた。
田んぼの中をバイクで走り抜け、足を引きずる年寄りを嘲笑った。
鶏小屋の鍵と戸を開け、数えきれない数の鶏を広大な田んぼに放った従兄弟は、その年寄りのこれ以上ない怒りの形相を快楽の道具として、バイクの後ろの私の両手を自分の胴に強く絡ませながら、どこまでもバイクを走らせた。
煙草を私に買いにいかせていた従兄弟に、私の母が気づいた。
私の母は何も言わなかったが、武庫川での乱闘キャンプに私を連れて行った時は、さすがに父に伝えた。
父が従兄弟を制裁した。
私が初めて見た暴力の原体験であった。
頬を引きちぎんばかりに握りながら、唾を飛ばしながら、父はひたすら従兄弟をののしり平手を数十回は食らわせ続けた。
従兄弟が「堪忍して下さい」と泣きながら媚びた後、父は従兄弟の身体をこれ以上無いくらい強く抱きしめた。
自分の兄からの依頼を忠実に遂行した父は、従兄弟を、後の名古屋の実業家に至るまで育て上げた。
あくまで表向きの実業家である。
成人してから合う従兄弟は、一目見て堅気の人間ではなかった。
それでも従兄弟は私を怖がっていた。
父の血を持ち、かつ、レスリングという闘う競技に没頭してきた私を恐れていたのだ。
私は従兄弟こそ、父の息子であるべきだと、思いつつ、世の中に法律があるから守られているのは実はヤクザだという父の言葉を思い出した。
法律があるからヤクザが威勢を張っていける現実を知っていたのは、しがない土建ヤクザの私の父でしかなかった。
父の会社のある新大阪から東京に出発した。
ルールのある競技で惨敗した私の戻る場所は、新大阪を経なければならなかった。
父の会社についた私が、レスリングを諦め、父の会社を継がして欲しいといった途端、父が血相を変えて私に言った。
レスリングという場所で一番に慣れない人間にワシの会社が継げるかと言った父の本意が、私にくらいは堅気の世界を全うして欲しいという願いである事が充分すぎるほど分かった。
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posted by shingol at 16:42| 大阪飲食ノート
2008年02月11日
平成プロレスファンへの手紙
もし、貴方がもっと想像力を養いたかったら、説明の無いプロレスを選んでください。
大技も歓声も無いプロレスの中に、自分也の想像をしてください。
もし貴方がこれでもかと大技を繰り広げた後の満足いく結末しか納得出来なければ、どうか呆気なく終わる結末に余韻を楽しむ事を覚えてください。
プロレスラーは貴方の奴隷ではありません。
貴方の受け身的な感性を満たすだけに大技を連発し貴方を満足させる訳ではありません。
プロレスラーは、我々に確かな物をほんの少ししか見せてくれない人たちです。
なのに、何故、貴方たちは、プロレスラーに100点を求めるのでしょう?
会場が興奮で一体化する事がベストなのでしょうか?
ミスの無い上手いプロレスこそベストでしょうか?
アクロバットショーや、公開我慢比べや、身体の痛めつけ合いショーが全てでしょうか?
田尻というプロレスラーが、今のプロレスは奇形だといいました。
しかし、そういう田尻も奇形です。
プロレスに起承転結等ありません。
プロレスにサイコロジーもありません。
プロレスは演劇ではないのです。
プロレスは、格闘技を商業ベースに載せる為に止むなく生まれた、リアルとフェイクの複合されたショーです。
演劇でも、エンターティメントでもありません。
強い者たちが、手探りで、リアルとフェイクそれぞれの美しい技術の攻防を、交互に奏でる他に比類無きジャンルです。
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大技も歓声も無いプロレスの中に、自分也の想像をしてください。
もし貴方がこれでもかと大技を繰り広げた後の満足いく結末しか納得出来なければ、どうか呆気なく終わる結末に余韻を楽しむ事を覚えてください。
プロレスラーは貴方の奴隷ではありません。
貴方の受け身的な感性を満たすだけに大技を連発し貴方を満足させる訳ではありません。
プロレスラーは、我々に確かな物をほんの少ししか見せてくれない人たちです。
なのに、何故、貴方たちは、プロレスラーに100点を求めるのでしょう?
会場が興奮で一体化する事がベストなのでしょうか?
ミスの無い上手いプロレスこそベストでしょうか?
アクロバットショーや、公開我慢比べや、身体の痛めつけ合いショーが全てでしょうか?
田尻というプロレスラーが、今のプロレスは奇形だといいました。
しかし、そういう田尻も奇形です。
プロレスに起承転結等ありません。
プロレスにサイコロジーもありません。
プロレスは演劇ではないのです。
プロレスは、格闘技を商業ベースに載せる為に止むなく生まれた、リアルとフェイクの複合されたショーです。
演劇でも、エンターティメントでもありません。
強い者たちが、手探りで、リアルとフェイクそれぞれの美しい技術の攻防を、交互に奏でる他に比類無きジャンルです。
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posted by shingol at 12:45| 雑記
2008年02月10日
貴方の中の揺らぐ事の無い確かな世界
もし仕事の事でどうしようもない不条理に、頭の中が、闘争か、逃走か、二つの内のどちらかの選択を求めていたら、高い場所から街を見下ろしてください。
無数のビルの群れの中の窓の灯りの中のたった一つの世界に、貴方の、闘争も、逃走も、どちらも選択する必要は無く、ただ、一つ、どうでも良い世界と思ってくれれば良いのです。
貴方の本当の生きる目的以外の場所に闘争も逃走も無いのです。
ただ中庸として仕事の中で何も考えず、結果も考えず、時間内のベストを尽くせば良い事でしょう。
もし貴方の住む街に高い場所や、ビルが無いのなら、揺らぐ事の無い貴方だけの世界を頭に描いてください。
一つ一つ自分の好きな小説、歌、映画、友人、あるいはプロレスラーの姿を頭に描いてください。
それが貴方の世界です。
決して揺らぐ事の無い貴方の世界以外の不条理の中で、孤独感や怒りや、逃亡を、考える事等無いのです。
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無数のビルの群れの中の窓の灯りの中のたった一つの世界に、貴方の、闘争も、逃走も、どちらも選択する必要は無く、ただ、一つ、どうでも良い世界と思ってくれれば良いのです。
貴方の本当の生きる目的以外の場所に闘争も逃走も無いのです。
ただ中庸として仕事の中で何も考えず、結果も考えず、時間内のベストを尽くせば良い事でしょう。
もし貴方の住む街に高い場所や、ビルが無いのなら、揺らぐ事の無い貴方だけの世界を頭に描いてください。
一つ一つ自分の好きな小説、歌、映画、友人、あるいはプロレスラーの姿を頭に描いてください。
それが貴方の世界です。
決して揺らぐ事の無い貴方の世界以外の不条理の中で、孤独感や怒りや、逃亡を、考える事等無いのです。
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posted by shingol at 13:57| 私とプロレス
2008年02月02日
天満の中国人、この国で生まれた幸せ
天満市場は、薄暗い通路に無国籍感漂う商店が群れをなしていた戦後の闇市の名残が残る市場であった。
何年前であったか、改装され、奇麗なショッピングセンターと化すかと思ったが、建物は奇麗になっても、周りの街並の雰囲気はなかなか消えないものである。
私は少しホッとした。
天満市場の周りには、片言の中国人の店員がいる飲食店が多い。
十数年前であれば、古くからの在日中国人以外の片言の中国人の店員等、中華料理屋で見かけるくらいであったが、最近では中華料理屋よりも串カツ屋、焼き鳥屋などで、より見かけるようになった気がする。
広島焼きの店で、中国人の若い娘が鉄板の前に立ち、上手に、生地をひっくり返していたのも見た事がある。
私が知る限りでは天満の中国人は実は朝鮮族が多いという事であったが、確かではない。
昔、大江健三郎が、戦前アメリカに渡った日本人たちに対して、「彼らは群れをなしている」と馬鹿な批判を行った事があった。
群れをなそうが、なさまいが、外国に渡った人たちの連帯感や孤独を「群れをなす」という言葉で片付ける大江健三郎の言葉は私には理解出来なかった。
にんにく、いわし、すじ、こんにゃく、どて…串カツ屋で中国人の店員が片言の日本語でオーダーを復唱していた。
中国人の多いこの繁華街でも、彼らが対するのは日本の酔客である。
日本語の教科書に載っていない市井の言葉を日々繰り返す彼らが、日本を好きでも嫌いでもどっちでも良いのだが、日本で過ごす日々が少しでも忘れられない想い出に成ってもらいたいと私は思った。
串カツ屋で中国人の店員に生ビールの追加を頼む際、朝鮮族の彼らにハングゥマルが伝わるか試したくなった。
「センメッチュチュセヨ」と片言の韓国語で話しかけた私に「ハイ、ナマビールデスネ」と中国人の店員は微笑んだ。
彼らが朝鮮族かどうかは、もう関係なかったが、ふと祖父母の事が頭に浮かんだ。
日本に渡ってきてくれてありがとう。
ハラボジ、ハルモ二の苦労を想像しながら、この国で生まれた幸せに感謝し生ビールを飲み干した。
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何年前であったか、改装され、奇麗なショッピングセンターと化すかと思ったが、建物は奇麗になっても、周りの街並の雰囲気はなかなか消えないものである。
私は少しホッとした。
天満市場の周りには、片言の中国人の店員がいる飲食店が多い。
十数年前であれば、古くからの在日中国人以外の片言の中国人の店員等、中華料理屋で見かけるくらいであったが、最近では中華料理屋よりも串カツ屋、焼き鳥屋などで、より見かけるようになった気がする。
広島焼きの店で、中国人の若い娘が鉄板の前に立ち、上手に、生地をひっくり返していたのも見た事がある。
私が知る限りでは天満の中国人は実は朝鮮族が多いという事であったが、確かではない。
昔、大江健三郎が、戦前アメリカに渡った日本人たちに対して、「彼らは群れをなしている」と馬鹿な批判を行った事があった。
群れをなそうが、なさまいが、外国に渡った人たちの連帯感や孤独を「群れをなす」という言葉で片付ける大江健三郎の言葉は私には理解出来なかった。
にんにく、いわし、すじ、こんにゃく、どて…串カツ屋で中国人の店員が片言の日本語でオーダーを復唱していた。
中国人の多いこの繁華街でも、彼らが対するのは日本の酔客である。
日本語の教科書に載っていない市井の言葉を日々繰り返す彼らが、日本を好きでも嫌いでもどっちでも良いのだが、日本で過ごす日々が少しでも忘れられない想い出に成ってもらいたいと私は思った。
串カツ屋で中国人の店員に生ビールの追加を頼む際、朝鮮族の彼らにハングゥマルが伝わるか試したくなった。
「センメッチュチュセヨ」と片言の韓国語で話しかけた私に「ハイ、ナマビールデスネ」と中国人の店員は微笑んだ。
彼らが朝鮮族かどうかは、もう関係なかったが、ふと祖父母の事が頭に浮かんだ。
日本に渡ってきてくれてありがとう。
ハラボジ、ハルモ二の苦労を想像しながら、この国で生まれた幸せに感謝し生ビールを飲み干した。
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posted by shingol at 21:16| 大阪飲食ノート
2008年02月01日
格闘技の勧め
私が格闘技を実際にやってみる事を勧めるのは、強くなってほしいからではない。
弱くなってほしいからだ。
自分の脳内のペンフィールドの小人にではなく、赤の他人に自分をいいようにコントロールされたら良い。
押さえ込まれて身動き出来ない自分を感じたら良い。
それでも攻めていかなければ罵詈雑言を浴びせられる環境の中に身を置けば良い。
そうなれば人に、もっと、もっと、優しく出来るだろう。
闘わずして、闘いの恐怖を知らない人間が憧れるのは、暴力でしかない。
闘えば良い。
闘って弱くなれば良い。
そうすればイキる事より、人に優しい言葉をかける事のほうが数倍も素晴らしい事を知るだろう。
とことん弱い自分を確認すれば良い。
それでも闘った貴方は、誰よりも男らしい人間なのだから。
ブルーザー・ブロディの想い出/対ベイダー戦動画
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弱くなってほしいからだ。
自分の脳内のペンフィールドの小人にではなく、赤の他人に自分をいいようにコントロールされたら良い。
押さえ込まれて身動き出来ない自分を感じたら良い。
それでも攻めていかなければ罵詈雑言を浴びせられる環境の中に身を置けば良い。
そうなれば人に、もっと、もっと、優しく出来るだろう。
闘わずして、闘いの恐怖を知らない人間が憧れるのは、暴力でしかない。
闘えば良い。
闘って弱くなれば良い。
そうすればイキる事より、人に優しい言葉をかける事のほうが数倍も素晴らしい事を知るだろう。
とことん弱い自分を確認すれば良い。
それでも闘った貴方は、誰よりも男らしい人間なのだから。
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posted by shingol at 19:06| 私とプロレス
2008年01月28日
トタンの長屋とアパッチ族
私が子供の頃は、小学校に入る前より、もう、親の庇護など無かったものであった。
実際、幼稚園の年長組になると、送迎バスから降りた私は、長屋からの行動半径をどんどん広げだしていった。
夜には幼稚園児の身で立ち飲み屋で大人たちの群れで私だけの特別なメニューを頂いていた。
私がはっきり覚えているのは、立ち飲み屋で、くだを巻く大人たちの会話を聞いた時の、幼稚園児の私の思考だ。
幼いと思ったのだ。
実際に幼いという言葉など知りはしない幼稚園児が感じた思考に、四十の私が悪戯な読書で覚えた言葉の中から適合するものを必死に探し出すほどの必要も無く、あの時、大人たちを幼いと思った私の思考をはっきりと思い出せるのだ。
そうだからと言って私が異様に大人びた幼稚園児だったわけでは無い。
ただ、6歳にも満たない私からしても、日焼けした労働者たちの話す内容が幼く聞こえただけだ。
立ち飲み屋での私の夕食代は、母親がひと月ごとに私の料金を支払っていたのか、あるいは、どんなに宗右衛門町や阪神尼崎のサパークラブやラウンジで遊び、焼き肉か寿司をたらふく平らげてきたところで、毎日の締めを長屋の立ち飲み屋で終えなければ気が済まなかった父がその日その日に支払っていたのかは私は知らない。
立ち飲み屋に行かなかった日は、お好み焼き屋に出向いた。
冷や飯を持っていけば、焼き飯も作ってくれた。
尼崎のお好み焼きは載せ焼きである。
神崎川一つ挟んだ向こうの大阪の混ぜ焼きとは異なる、薄い生地に具を載せる焼き方であった。
私が好んだ具は油かすであった。
そのお好み焼き屋は、おばちゃんが死んだ後、店は無くなったが、もう一つ隣にあった店は今も繁盛している。
そういえば昨年その店に出向いたとき、昨日、大阪府知事になった男の写真とサインが飾られていた。
その男が、長屋の味を、都合良く、庶民の味だと納得しながら美味しそうに味わったのかと思うと腹立ってしまった。
南森町で勤務している時、暇を見つけて大川に出向いた。
軍需工場の跡地を眺めながら、アパッチ族の事を、ふと思い出した。
アパッチ族はどんな家に住んでいたのであろう?
トタンの長屋で生まれた記憶が、そんな気持ちを連想させた。
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実際、幼稚園の年長組になると、送迎バスから降りた私は、長屋からの行動半径をどんどん広げだしていった。
夜には幼稚園児の身で立ち飲み屋で大人たちの群れで私だけの特別なメニューを頂いていた。
私がはっきり覚えているのは、立ち飲み屋で、くだを巻く大人たちの会話を聞いた時の、幼稚園児の私の思考だ。
幼いと思ったのだ。
実際に幼いという言葉など知りはしない幼稚園児が感じた思考に、四十の私が悪戯な読書で覚えた言葉の中から適合するものを必死に探し出すほどの必要も無く、あの時、大人たちを幼いと思った私の思考をはっきりと思い出せるのだ。
そうだからと言って私が異様に大人びた幼稚園児だったわけでは無い。
ただ、6歳にも満たない私からしても、日焼けした労働者たちの話す内容が幼く聞こえただけだ。
立ち飲み屋での私の夕食代は、母親がひと月ごとに私の料金を支払っていたのか、あるいは、どんなに宗右衛門町や阪神尼崎のサパークラブやラウンジで遊び、焼き肉か寿司をたらふく平らげてきたところで、毎日の締めを長屋の立ち飲み屋で終えなければ気が済まなかった父がその日その日に支払っていたのかは私は知らない。
立ち飲み屋に行かなかった日は、お好み焼き屋に出向いた。
冷や飯を持っていけば、焼き飯も作ってくれた。
尼崎のお好み焼きは載せ焼きである。
神崎川一つ挟んだ向こうの大阪の混ぜ焼きとは異なる、薄い生地に具を載せる焼き方であった。
私が好んだ具は油かすであった。
そのお好み焼き屋は、おばちゃんが死んだ後、店は無くなったが、もう一つ隣にあった店は今も繁盛している。
そういえば昨年その店に出向いたとき、昨日、大阪府知事になった男の写真とサインが飾られていた。
その男が、長屋の味を、都合良く、庶民の味だと納得しながら美味しそうに味わったのかと思うと腹立ってしまった。
南森町で勤務している時、暇を見つけて大川に出向いた。
軍需工場の跡地を眺めながら、アパッチ族の事を、ふと思い出した。
アパッチ族はどんな家に住んでいたのであろう?
トタンの長屋で生まれた記憶が、そんな気持ちを連想させた。
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posted by shingol at 21:04| 大阪飲食ノート
2008年01月21日
暴力の国・怖い物を知らない国
民主化前の韓国はカンペ(ヤクザ)の力など大した事は無かった。
国家の中で圧倒的に一番怖い存在は軍隊でしかなかった。
しかし民主化を果たした韓国に怖い物は無くなりつつある。
結果、カンペが勢いを取り戻しつつある。
誤解を承知の上で記すが、軍隊の顔色を伺って治安が良い国よりは、適度にヤクザが我が物顔をして歩く国の方が健全である。
かつては日本も、歓楽街を我が物顔で歩くヤクザに出会えたものだ。
しかし、暴対法以後、ヤクザは地に潜ってしまった。
もはや日本の国民に怖い物等何も無いであろう。
一昔前なら袋叩きに合うような言葉の汚さでも通じる国である。
私が驚いたのは、アメリカ人の友人が嘆いた言葉の数々だ。
日本ほど女性が騒々しい国は無い。
病院の待合室で座っていて看護婦に目の前を横切られた時は驚いた。
あれは振る舞いの暴力だと。
私も思う事がある。
ヘタレの大阪人の女たちの一億総「大阪のおばちゃん」化だ。
汚い言葉で、強気がモットーであろうが、しかし、少なくとも私の育った長屋で見かけたようなヤクザと渡り合うおばちゃん等今はいないであろう。
そういえば私の生まれた街は、規律の守られた街であったので、犯罪等ほとんど無かった。
怖い物だらけであるから逆に治安が良いのである。
私もヤクザは嫌いだ。
しかし、もっと嫌いなのは、ヤクザの度胸も無いのに、怖い物を知らない国民である。
この国を駄目にしているのは怖い物が無い事である。
怖い物がない事は本当ならば、ものすごく平和的で民主的で自由を謳歌出来る国を作れるチャンスである。
しかし、この国の人間たちは怖いものがいない事を良い事に、皆、暴力に憧れるのだ。
本当の暴力等知らないくせに。
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国家の中で圧倒的に一番怖い存在は軍隊でしかなかった。
しかし民主化を果たした韓国に怖い物は無くなりつつある。
結果、カンペが勢いを取り戻しつつある。
誤解を承知の上で記すが、軍隊の顔色を伺って治安が良い国よりは、適度にヤクザが我が物顔をして歩く国の方が健全である。
かつては日本も、歓楽街を我が物顔で歩くヤクザに出会えたものだ。
しかし、暴対法以後、ヤクザは地に潜ってしまった。
もはや日本の国民に怖い物等何も無いであろう。
一昔前なら袋叩きに合うような言葉の汚さでも通じる国である。
私が驚いたのは、アメリカ人の友人が嘆いた言葉の数々だ。
日本ほど女性が騒々しい国は無い。
病院の待合室で座っていて看護婦に目の前を横切られた時は驚いた。
あれは振る舞いの暴力だと。
私も思う事がある。
ヘタレの大阪人の女たちの一億総「大阪のおばちゃん」化だ。
汚い言葉で、強気がモットーであろうが、しかし、少なくとも私の育った長屋で見かけたようなヤクザと渡り合うおばちゃん等今はいないであろう。
そういえば私の生まれた街は、規律の守られた街であったので、犯罪等ほとんど無かった。
怖い物だらけであるから逆に治安が良いのである。
私もヤクザは嫌いだ。
しかし、もっと嫌いなのは、ヤクザの度胸も無いのに、怖い物を知らない国民である。
この国を駄目にしているのは怖い物が無い事である。
怖い物がない事は本当ならば、ものすごく平和的で民主的で自由を謳歌出来る国を作れるチャンスである。
しかし、この国の人間たちは怖いものがいない事を良い事に、皆、暴力に憧れるのだ。
本当の暴力等知らないくせに。
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posted by shingol at 20:28| 私とプロレス