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2008年08月14日

兎我野町と北巽の想い出

二十代の半ば、私は狂ったように遊び続けた。
割と良い職場に就職出来て独身には充分な給料をもらっていましたが、父親の会社も順調であったので、父親の会社の手伝いをするたびに身分不相応な小遣いを手にしていた。
財布の中のその日使っても良い金は10万円を切る事は無かった。

あぶく銭に自分を見失っていた時期、兎我野町の韓国クラブに出入りするようになった。

同じ血の流れる女性達の綺麗どころが、父親のすねかじりの二十五歳の私の両脇に座ってくれた。

私は彼女達の言葉に踊った。

男を気持ち良くさせてくれるのは、どんなに綺麗な女との性の快楽よりも、綺麗な女の発する気持ちの良い言葉でしかなかった。

三つ下の絶世の美人のホステスと親密な関係になった。

日曜になれば、決まって「買い物に行きたい」と高額な衣服を買わせ、平日の夕方には「一緒に御飯を食べたい」と同伴出勤に誘う、絵に描いたような商売女の振る舞いを続けて来た彼女が、ある時期から、私には店に来て欲しく無いと言うようになった。

ただし店が終わる時刻、必ず彼女からの電話が続くようになったのも同じ時期からであった。

逢っても、私に高級な料理も、高額な衣服も要求しなくなった彼女であったが、私に対しての時間の要求は遠慮がなかった。
コーヒー代だけは私に支払わせたが、高級な夜食も宿代も私に要求する事無く、ただ、私の時間だけを要求して来た。
私は翌朝の仕事開始時間の一時間前まで彼女と過ごす日々を続けた。

「あなたをもらうことは出来ないけれど、あなたの時間だけは下さい」と、たどだとしい日本語で言われると、私は至福の喜びに包まれた。

ある休日、生野の北巽にある彼女の寮まで出向いた。
約束の時間を間違え、一時間早く到着した所、彼女はサウナに行っている事を同居する別のホステスのお姉さんが教えてくれた。
寮の前で10分ほど待っていると、そのお姉さんが中で待っときなさいと言ってくれた。

不在の彼女の部屋に案内された私は、部屋の壁に私の写真が貼っている事に嬉しさを感じた。
しかし、その横には、彼女と別の男の済州島でのツーショット写真が貼られていた。

私は所詮、商売女だと割り切って付き合っていた彼女が、少なくとも、この日本では私だけを想ってくれる事に感謝した。

私などと付き合った為に、故郷の済州島で作った借金を返済する目的を忘れた彼女は、商売女であるのに商売が下手と成り、もっと稼ぎの良い山梨のカジノクラブに勤めを変えざるを得なかった。

新幹線に同乗して、どこかの駅で、ローカル線に乗り換えた。
当日、新幹線で帰れるギリギリの時間まで彼女の目的地の駅ちかくまで同乗しようと想ったが、時間的な限界が来た。
次の駅で降りる事を決めた。

車掌に「この人は日本語が分からないから◎◎駅で降ろして欲しい」と伝えた。

彼女の不安げな表情を見つめながら、財布の中にある、所詮、親のすねかじり程度の小銭で、愛する人さえ救えない自分を軽蔑した。





posted by shingol at 22:07| 大阪飲食ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする