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2007年06月10日

偽の闘い

プロレスとは「偽の格闘技」である。
一般的なプロレスから、プロレスラーが出陣する総合格闘技であれ、プロレスラーが関われば、すべて「偽」の格闘技となる。
偽という漢字は、「人の為」にと書くが、まさしく自分の為でなく、人の為に、つまりファンの為に戦ってきたのがプロレスラーであることを、もう少しファンは誇りに思っていいのではないかと思う。

プロレスとは、ショースポーツでありながら、競技スポーツの姿と形をかりた特殊なジャンルである。
競技スポーツを演出するプロレスに対して、ファンが自ら共犯関係を結び、偽の競技スポーツとしての空間を作り上げている変わったジャンルでもある。
その空間はファンの共犯関係抜きにして有りえないということに関しては、ファンもまた、偽の空間を作り出すために罪を背負っているということになる。

そうであるのに、高田延彦は,共犯関係を請け負うファンを置いて、自分だけ、とっととカミングアウトをしてしまった。

人は、隠していた過去をカミングアウトすることで罪の意識から解放されようとする。
人を欺いていたわけではない。人を騙していたわけでもない。
ただ人の為に闘い、偽のリアルファイトを繰り広げていた事がよほど罪深い事と思っているのであろうか・・。

子どもの時に見て憧れたヒーロー物に対して、「昔はよく騙してくれたな」と恨みを抱くものなど何処にいているのであろうか。

Uインターはご存知の通り、昭和の新日本へのオマージュをギミックにした団体であった。

私はその中で昭和の猪木の役どころを引き受け偽の格闘王を演じきる高田も、
ヒクソンとの本当の戦いの場に出陣する高田も、両方に痺れた。

私も格闘競技に熱中していたので、偽の闘いと本物も戦いの区別くらいはついていたが、余計に、偽の闘いから発信されるメッセージにどれだけ救われたか分からなかった。
子どもであれ大人であれ、リアルでなく、偽の闘いで無ければ発信出来ない勇気や共感といったメッセージもあるのだ。

そういう意味では,桜庭和志や美濃輪育久は本物のファイトの場で、「偽の闘い」つまり「人の為に」のプロレスラーの精神を持って、本物の競技スポーツを闘うメッセージ性の強いリアルプロレスラーそのものである。

現在、高田はハッスルにおいてカミングアウトしたプロレスを展開しているが、それが自身で大人の姿だと認識しているなら、プライドで約束試合を行った時以上に失望せざるを得ない姿である。
大人なら、子どもについた嘘は墓場まで持っていくものだ。

ハッスルには「リアル」も無ければ「偽」もない。
何か勘違いしている気がしてならない。

(2005年06月20日投稿)
posted by shingol at 09:28| アーカイブズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする