私は成人になる少し前に帰化を果たした。
父は終生、韓国籍のままであった。
従って、成人以後、韓国を訪れる際は、親子で別々の入国の列に並ぶのが常であった。
韓国籍である父は、日本人になった私より遥かに多くの時間を費やして、その列から抜け出して来た。
「おまえも帰化せえへんかったら、辛いぞ」と言って来た父の本意は、日本での韓国籍での辛さよりも、韓国に渡って感じるあまりの仕打ちに対してであったかも知れない。
父は生野の愚連隊に客人として迎えられた時期も有った。
しかし、同じ血をひく仲間の中で、孤独感を覚えたと言う。
済州島の出身者がほとんどのその群れの中で、本土の出身で有る父は、どこかで、
郷土の異なる淋しさを感じたのかもしれない。
同じ東アジアの中で、小さな国籍でどうやこうやいうのはおかしいやろと言っていた
父の頭の中には、ねっから、国籍に対するこだわりなど無かった。
国籍ではなく、自分の郷土と族譜に対するこだわりであった。
自分の郷土を愛せるから、人の郷土も愛せるやろという言葉であった。
韓国に行った時、親戚に挨拶すれば、驚く程のもてなしを受けなければ行けない。
なのに、母国の言葉で、充分に感謝の気持ちを伝えられない。
それが嫌で、父は韓国に行っても、親戚たちには黙ってホテルで過ごす事が多かった。
しかし、滞在するホテルのロビーにいると、そのホテルのスイミングスクールに通う
親戚とバッタリ出くわしてしまった。
早速、夜は手厚いもてなしを受けるハメに成った。
滅多に酒に酔わない底なしの父であるが、その夜はいささか酒量の度が越えた。
その時、父が突然、あまりにも饒舌に流暢な韓国語を話だし、親戚や私を驚かせた。
次の朝、父に、韓国語が喋れる事を確認したところ、父はこういった。
「酒で前頭葉が麻痺したら、いけるんや。前頭葉か大脳新皮質が麻痺したら親の言葉くらい出てくんぞ」
私はならず者で無学の父から「前頭葉」やら「大脳新皮質」やらの言葉が出てくるのは
驚いた。
そういえば父は「学歴なんかいらんから学識でおれ」と私に様々な本を読む事を強制するのが幼い頃からの常であった。
父の残してくれた書物は、団鬼六から脳性理学、李白、東洋哲学、経済と非常に幅広いものであった。
父が亡くなる年、父の最後の女であった中国人と、父の義理の兄で有る北朝鮮籍のおじさんと、私と、父とで、すき焼きを食べたいという話に成った。
しかし、中国人、北朝鮮人、韓国人、帰化した日本人の4人が揃っても、すき焼きの作り方など全く分からなかった。
しばらくして、長屋の端で、沖縄まんじゅうを作っているおばちゃんにすき焼きの作り方を尋ねた。
人気blogランキングへ

