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2007年06月12日

前田日明と藤田和之の属性

昔からの新日本ファンにとって前田日明と藤田和之は永遠に新日本にいて欲しかった恋人のようなものである。
彼らこそ新日本の強さの象徴であり、格闘技界全般に対しても誇るべき存在なのであるが、彼ら自身が常にプロレスを否定し、あるいは無視し、格闘技に恋し、こちらを振り向かない遠い存在であった。
しかし、そんな彼らが自身のアイデンティティや属性において、「我こそはプロレスラー」であると強く言い切り、決死の闘いに出た事があった。
偶然にも相手は二人ともレスリングのグレコローマン金メダリストであったが、プロレスとは異質の投げ技の使い手を武器にする男たちを相手に、かつてない恐怖感の中で、二人共、自身を「プロレスラー」と宣言した。
前田は「新日本の受け身は世界のトップレベル」と言い、藤田は「スコット・ノートンの投げを食らって来たプロレスラー」であることを心の支えにして、強大な敵と闘った事で、彼ら自身の中にプロレスラーの属性があることを証明した。
相撲出身、レスリング出身、それら過去に培った技術だけを頼りに、総合に出陣するプロレスラーは多いが、
プロレスの受け身経験を誇りに闘ったのが前田と藤田であったことをどれほどのファンが覚えているであろう。

(2005年07月22日投稿)
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鈴木みのる

私のような30代後半のプロレスファンにとって、同年代である鈴木みのるは特別な想い入れのあるプロレスラーである。
年上のプロレスラーに勇気や人生の知恵と勇気をもらっていた10代から、鈴木みのるや船木誠勝など同年代のプロレスラーに刺激を受ける20代の中で、私は要所要所で鈴木みのると同時代を生きて来たという実感を覚えさせてくれる。
昭和の終わり、新日本が大阪府立体育館でファン感謝イベントを行った。
学生だった私は、そこで会場整備のアルバイトをしていた。イベントの中で、選手たちが実際にリングの組み立てを観客に見せるというコーナーがあった。
その時の順番待ちに体育館の隅に並ぶ若手選手たちの列の中で、既にデビューしていた松田や飯塚といった選手を相手に、リストロックで手首をひねったり、ヘッドロックをかけて、ちょっかいを出している不敵な丸坊主の練習生が、丁度その頃20歳であった私より一才年下の鈴木みのるだと知ったのは、その後何ヶ月後のデビュー戦であった。
私は、人の批判を繰り返す鈴木に小生意気な印象と反感を抱いていたものの、やがてUWF、藤原組を経てパンクラスを設立したときには、前記したように同時代、同年代を生きる共感のようなものを鈴木に感じるようになってきた。

(2006年04月07日投稿)


若い頃の鈴木みのるは、人の批判と強気な言動が目立つ男であったが、それ以上に、意気地なしの弱さを隠しきれない男でもあった。
もし、鈴木が、言動通りの強い男であったなら、逆に、あれだけ鈴木に感情移入し、熱くなったファンなど、存在などしていなかったはずである。

初めて、モーリス・スミスと闘ったドームで、鈴木は試合半ばで試合を諦め、怯えの中で、いかにスミスの痛くないパンチで寝転ぶかだけを考え、マットに立っていた。
アポロ菅原との試合においては、アマレスで自分以上の実績を持つ菅原の懐に飛び込む勇気を持たず、延々と、子供じみた打撃でお茶を濁した。であるのに、スミス戦、菅原戦といい、何故か、傷ついた青春のヒーローの如くのマスコミでの扱われ方をしてきた。
私は、そんな青臭い鈴木みのるとマスコミに嫌悪感を抱いて来たが、パンクラスのリングを旗揚げし、もはや、自身の言葉から言い訳の出来ない世界で、勝利し、そして敗北を重ねる等身大の鈴木に不思議な魅力を感じるようになった。
パンクラス初期、モーリス・スミスと神戸において、キックルールで闘った鈴木は、ドームで闘った鈴木とは別人であった。青臭さが消え、勇気を振り絞り挑み、玉砕した鈴木に、私は初めて同年代のレスラーから勇気を頂いた。インターバルの間、「俺はプロレスラーだ!」と叫び、自分の属性に賭けて、弱い気持ちに打ち勝った鈴木に、私は感動した。
以後、パンクラスの試合においても、技術以前に気持ちの問題だと疑いたくなるような敗北を重ねてもきた。
末端の格闘技経験者の私からとっても、鈴木は試合の途中で、勝負を捨てるところがあるような気がしてならなかった。
しかし根性の祭典ともいうべき高校のレスリングで全国区であった鈴木である。
鈴木は自分の目標に向かっては、気持ちの強い男なのだと思っている。
パンクラスに、鈴木のやりたいことは無かった。鈴木は昭和のプロレスで育った男なのである。
過去、多くの人間を不快にして来た言動は、自身が、若い格闘家たちから同じ言葉を吐かれたパンクラシスト後期で、みそぎを終えたと思う。
今は、不快さや青臭さが消え、ウェットの効いた毒舌で、プロレスラーとしての本領を発揮しつつ有る。
個性的には満点のプロレスラーとなったが、私は鈴木がU系の試合で見せてくれた感動を、プロレスの試合に置いても観てみたいと思う。

(2006年04月10日投稿)
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プロレスのアナログ感

以前、Mr.高橋が著書の中で猪木対ビル・ロビンソン戦のような流れるような名勝負は逆に真剣勝負では有り得ないと述べた事が有った。
高橋とすれば猪木対アリの全く噛み合ないセメント試合の対極にある試合として猪木対ロビンソン戦を持って来たのであろうが、私としては今、あの頃のビデオを見直しても、あの試合程、流れるようなとは程遠い試合は無かったように思う。
お互いの技を受けた事も無く、お互いの試合のテンポも知らない者同士が60分のフルタイムに手探りで挑戦した。
ぎこちない試合展開の中で、終盤になるにつれ、お互いを知り、徐々に試合が噛み合ってきだしたが、それでも、お互いの技など受けた事の無い者同士、フィニッシュシーンさえ、ぎこちない「間」が空くように感じた。
しかし、その「間」がアナログ感に溢れた緊張感をマット上にもたらしていたような気がしてならない。
昔のレスラーたちは洋の東西を問わず、こうしてプロレスの最小限の原則に基づいて「プロレス」あるいは「試合」を成立させていたのだろうと思う。
あの当時と比べて現在のプロレスラーの攻防の約束事のパターンは大幅に増えたのであろう。
ジュニア系に代表される流れるような機械仕掛けのような完璧な技術の攻防にアナログ感は無い。
まるで演武かアクロバットショーの世界で有る。
以前にも記したが、私は流れる攻防の中で瞬きも吐かせぬフィニッシュシーンよりも、例えば猪木の一拍遅れる今となっては鈍臭い逆さ押さえ込みを格好よく感じる。
そこに機械仕掛けでなく、人間同士のぶつかり合いとしてのプロレスのアナログ感を感じるからである。

(2006年12月02日投稿)
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2007年06月11日

プロレス界の軽量化

期待の上井氏が中心となり船出した「W-1」であるが、
試合内容はともかく、舞台裏のドロドロ感や喧嘩のレベルは、昭和と比べて何の情緒も幻想も抱かせいない低レベルなものであった。
プロレス界を取り巻く状況が、狭くなってしまったのか、小さくなったのか、今のプロレスラーには何の社会性や情緒のかけらも無い事を改めて思い知った。

昭和のレスラーたちは、皆、大人であり、無口であった。
かつての村社会のプロレス界でさえ、村の決まり事を守り、立場や役割を認識する事で、レスラーたちの間には、今と比べ物にならない社会性があったように思う。

長州力は、見る人にとっても、好き、嫌いがはっきりと別れるプロレスラーである。
ただ少なくとも、昭和の時代に一世を風靡したプロレスラーであり、リング内外で権威を放った重鎮であった。
人一倍プライドが強い長州が、現在、かつての栄光を無くし、地に落ち、死に際を見失い、先の見えない終焉のふちを彷徨っている。
私は、長州の行く末をファンとして、しっかり見届けたいと思った。

佐々木健介は、私のようなファンと違い、長州の側近で良いところばかりでなく、長州の負の部分を垣間みた人間であるらしい。
しかし、例え、恩師にどのような迷惑をかけられたところで、弟子なら、その恨みつらみも、墓場まで持って行くのが昭和のレスラーであったろう。
プロレス週刊誌で悲劇のヒーローの如く、かつての恩師にされた恨みを暴露した時点で、佐々木健介は恩を仇で返す軽薄な人間となった。
であるのに、試合において、リスペクトのかけらも無く、かつてのスターを葬り去った姿には、勝負の非情さなどとはレベルの違う人間の軽薄ささえ感じた。

極めつけは、佐々木の鬼嫁とやらが、死人の長州に対してマスコミの面前で侮辱すべき言葉を吐いた事である。
ヒステリックな女性に、私のヒーローが汚されたとさえ思った。

プロレスマスコミにはおだてられ、芸能界にも進出したところで、所詮、何の社会性も無い世界で生きるプロレスラーたちの軽薄化、軽量化は止まらなくなってしまっている。

(2005年08月06日投稿)
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マットの外のプロレスラー

先日、ある新興宗教の勧誘を受けた。
私に宗教に対する偏見は何も無いが、私の心のOSは宗教のソフトはインストール出来ないので、断った。
私には宗教的な教典は何も無いが、プロレスラーを通して、自分の心のOS形成に役立てたと思う。
プロレスが他のスポーツと違うところは「人のために闘う」ということである。
自分の記録や承認欲求のためでなく「人のために闘う」・・・「人の為」であるから、「偽」の競技スポーツであるかも知れないが、私は少なくともプロレスを通じて、「動詞の愛」というものを知った。
またプロレスに夢中になったおかげで、努力する喜びを知った。
プロレスに夢中になったファンのうち、プロレスラーを目指すものなどごく一部である。
なのに最近のプロレスラーから「俺にはプロレスしかない」と言われると淋しい気持ちになる。

プロレスラーはマットの上だけでなく、マット以外の場所に置いても成功者であって欲しいと思った。
プロレスラーの肉体にも憧れたが、
昔の猪木や今の前田の上品で上質のスーツとその着こなしを見て、私は今も昔もスーツが似合い、上質のスーツが身分不相応でないような生活を努力して築きたいと思えた。
ジャンボ鶴田がギターを弾いたり、大学院に進んだのを見て、向学心を刺激させられた。
大柄なジャンボ鶴田がテレビなどに出る時は、いつもニコニコしているのを見て、人に笑顔で接する大切さを教わったので私は子供の頃から笑顔は気をつけていた。

マットの上だけで肉体を誇示して輝くだけでなく、実生活に役立つ振る舞いや努力の姿を見せてくれるプロレスラーたちをもう一度見たいと思えた。



(2005年08月21日投稿)
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前田日明と李白の詩

私事で恐縮であるが、前田日明と私の亡くなった父とはそっくりな人間であった。
前田の巨大で短気で自らの感情を抑える事の出来ない激しい気性を包む孤独の影に私は自分の父をオーバーラッブしてしまう。
私の父の家系と前田が公表する家系が事実なら、私は前田と限りなく近い血を持つ事になる。
私は小学生のとき、私の母は、小説「血と骨」の世界さながらに、父の激しさに耐えかね、私と姉を連れて家を出た。
「疎開」した田舎に新日本プロレスがやって来た。売店の横で新人時代の前田日明を見た。
体育館の隅の重ねたマットの上にひょこんと座り、売店にたむろする子供たちを優しい目で見つめていた。私は子供心に何か他の選手たちとは違う匂いを感じていた。
懐かしい親戚のお兄ちゃんを見るような故郷のような匂いだった。
数年後、伝説の前田対星野のセメントマッチも同じ体育館で見た。

前田が今から数年前、李白の詩に関する感じ方、受け取り方をある雑誌に載せた。
私は体が固まるような衝撃を受けた。
私の父がいつも言っていた李白が救う孤独の世界観の解釈と同じだったからだ。

私は前田の欠点なら人の百倍は言えるだろう。
けれど前田の暖かさ、優しさも人の千倍は言える。

李白の「月下独酌」の世界で孤独と闘い続けて来た前田日明が、テレビ番組で美輪明宏と有名なスピリチュアルカウンセラーの前で、とうとう自分の孤独を打ち明けた。

自分が着ぐるみを被った人間のような気がしてならないという事であった。

人間で生まれたからは自分が何者であるか、何処から来たのか、考えて普通である。
誰が自分を求めてくれるのか、自分の何が世の中の為になるのか、
考え続けて来た前田日明の言動に私は父の面影をいつも見てしまう。

だからこそ、父の無くなった今、勝手ながら私の心の支えとして、前田には誰からも愛される真実の自身の姿をさらけ出し多くの孤独な人間たちを救って欲しい。
美輪明宏のいうように、もう前田には「刀」はいらないのである。

(2006年12月03日投稿)
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国際プロレスのミニマム感

私が少年時代、楽しんだ国際プロレスは独自のジュニア戦線を誇ってもいた。阿修羅原がデビュー後、ジュニアのエースらしい柱が現れたものの、私の記憶に残るのは、スター性とは無縁の職人集団たちであった。 寺西勇は何とも体型からしてコンパクトにまとまった柔軟性溢れるファイトであったが、特に忘れられないのは相手のショルダースルーを見事にトンボを切って着地して返す軽妙さであった。
他に、稲妻二郎、マッハ隼人、アニマル浜口、マイティ井上・・・皆、小粒の身体ながら、ジュニアとヘビーの区別など無く、軽快なテクニシャン振りを発揮してくれていた。
国際プロレスにスターはいなかったし、スター性のある選手もいなかった。だからこそ、感情移入などせず、気軽に試合を楽しめたし、スター性の代わりに見事に個性満点の選手が多かった気がする。
末期の国際プロレスは、その選手の配置において、抜群のバランスを示していた。
パワーファイターで重厚な木村を不動のエースに、脇の軽快なタッグコンビ井上と浜口、二番手の草津、若手エースの原、そして前座の個性溢れる面々。
一本柱のエースがいないからこそ、前座からして個性を作り上げざるを得なかったのだろうが、団体としてのミニマム感は、現在のインディーとしても、上質の部類であった。

(2006年03月11日投稿)
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木村健吾

私が、小学5年生あたり、「ゴング」誌でロス地区でパク・チューとして武者修行中の木村健吾のグラビア記事が掲載されていた。
藤波が当時「猪木二世」というような呼ばれ方をしていた事もあってか、記事のタイトルは確か「猪木三世がロス地区で活躍中」というようなものであった。
その後であったか、ひょっとしたらその前か、記憶は定かではないが、メキシコでは確かNWAのライトヘビー王座も奪取し、時のNWAヘビー王者ハーリー・レイスと同じ形のチャンピオンベルトを巻いた木村の写真を凛々しく感じた。
美男というわけではないが、切れ長の目のあっさり顔、セミロングのサラサラ髪、肩幅が広くて手足の長いスタイルと、そこそこにスター誕生の予感を感じさせた。
帰国後も、スターの席が埋まっている状態であるにも関わらず、会社の期待もあってか、ジュニアの二番手としてタイトルを防衛したり、テレビマッチでのレギュラーの座を確保していた。
トツプ外国人のかませ犬的試合も有ったであろうが、それでも何かとチャンスを与えられ、格闘技戦、藤波との抗争、あるいは藤波とのタッグチーム結成など、選手の離脱の度に会社の木村への期待と抜擢と確かなものであったが、何せ、外見と同じく、あまりにもあっさりとしたファイト・スタイルが観客を熱くさせる事は無く、かといって、いぶし銀のような職人さも無ければ、力強さも無い。
最後まで、ブレークすることなく終わったレスラーであった。
しかし、会社やファンが懲りずに木村を抜擢し応援し続けた理由は、肩幅からウエストにかけて綺麗なドレープを描く体型やルックスの見栄えの良さに、それなりの格好よい魅力を感じていたからではないかとも思う。
そして、何より、格好よさの上に、人柄の良さが滲み出る不思議なレスラーであった。

(2006年03月12日投稿)
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長州力と前田日明

長州と前田は、その血に準じ、苦労と波乱を重ねて来た男である。
激しい気性で、親分肌であり、子分たちには服従や自分と同じ色を求める。
睨みを利かせる強面の姿の合間に、何とも言えぬ孤独な表情を覗かせる。
子供や部下は誉めて伸ばす育成法が主流となっている現在に彼ら程の頑固親父はいないであろう。
一言足りない不器用さで下のものは反発し、外部には敵を作る。
それでも、私はファンの立場ながら、どのレスラーよりも暖かい何かを感じる事が出来る。
私は藤波の事を悪く言うつもりもないが、藤波には優しさを感じても、暖かさを感じる事は無い。
けれども、二人には優しさは無くても、暖かさがある。
人間に取って、一番の苦痛は、実はいじめやしごきよりも、無視や放置であるらしい。
ならば、自分の子分たちを無視出来ない彼ら二人の不器用な思いやりだとしても、理解出来る人たちなどいているだろうか・・。
前田日明はいささか、その暴力性が冷酷性を生み出す時が有る。
それでも私は愛情を知らぬ孤独の中で、我が身を守る為の前田の激しい過剰反応が、やがて静まる時がやってくるとは思う。
私的な話であるが、私の亡くなった父も、彼ら二人にそっくりであった。
そして父や前田、長州に共通していることは、差別されたとは言わぬ垂れ目の韓国人であったという事である。

猪木で育った昭和のプロレス少年にとって、青春期のヒーローは、長州や前田であった。
30代も終わりに近づいて来た今も、もう少し長州と前田の後ろ姿が私には必要である。

(2006年03月11日投稿)
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キム・ドクがいた時代

ジャンボ鶴田が少しばかり息を上げた相手と言えば、キム・ドクを思い出す。
鶴田とUNを争った大型ファイターであったが、ドクが大型だったと気づいたのは、新日本に参戦してからであった。
当時の鶴田とキム・ドクの試合は大型らしからぬスピードとテクニックの攻防であった。
馬場にとって大型選手である事は、プロレスラーにとって当然の条件であった為か、鶴田もドクも、さして大型を強調する事無く、並の身体の選手と同じスピード、テクニックを用いて試合を構成していた気がする。
鶴田がフロントスープレックスで攻めれば、負けじと、かんぬきスープレックスで対抗するなど、鶴田に対しては異常にライバル心を発揮するドクだったが、ブロディやブッチャーなどに対しては毎回あっさりと3分ほどでフォール負けを喫していたことが不思議であった。
こういった勝敗のバランスの中に、馬場の選手の格付けや序列のバランス感覚、世界観を垣間みる事が出来る。私はこういった味わい深い「格の世界」であった当時のプロレス界を懐かしく感じる。

(2006年03月06日投稿)
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無我について

私は西村修が嫌いである。クラシックスタイル云々と言いながらも自身は、何一つ、アマチュア、プロ関係なく、レスラーとして覚えなければいけない技術を一つも知らない選手である。
西村が提唱するスタイルとは商業主義の走りとなった時代となる米マット界のスタイルであり、クラシックスタイルとは程遠いものである。
ハーリー・レイスも、ジャック・ブリスコも、いざと言うときの心得を持っていたからこそ長くNWAの王者に君臨出来ていたというのに、西村の理想とは所詮、都合の良い、商業プロレスが上手い選手にスポットが当たるべきだとの考えである。
例えば、西村が自身と同体重の素人と闘って勝てるというのか・・・演武としてのマットワークを知っていても、闘うマットワークを知らない人間が何をクラシック云々かというのは、昭和の新日を見て育った偏屈ファンの感想である。
そんな西村嫌いの私でも、一つだけ、興味深い西村の言葉がある・・・「今のファンは馬鹿である」という挑発的な台詞である。
言葉足らずで誤解を生じたのだろうが、西村の言わんとする事は理解出来る。
プロレスファンに限った事ではない。
派手なリズムの音楽を聞いて育ち、クライマックスシーン満載のハリウッド映画を見て育った人間たちに、以前ほど「静かな呼吸」が存在しているとは思えない。
自分の呼吸よりも、メディアの発信側の呼吸=リズムに乗せられて、感性や耐性が昔と違う今のファンに、昭和のNWAのフルタイムなど観る価値のない物であろう・・。

私が子供の頃、プロ野球シーズン中、全日本プロレス中継が土曜8時の定時に放送される事は殆ど無かった。
いつも深夜の11時45分に放送を開始していた。
いつものように親が寝ている茶の間に忍び込み、テレビの音量を消したつもりでチャンネルを合わせた。すでに始まっていた全日本プロレス中継のハーリー・レイス対ジャンボ鶴田を静かに観戦していた。
コマーシャルが始まって驚いた。
テレビから大きな音量が流れた。
しかしコマーシャルが終わり再び流れた全日本プロレス中継はサイレントな世界に変わりなかった。
私たちは音楽で言うサビの少ないプロレスの試合を見て育った世代である。
客を沸かす為に場外乱闘を乱発し、大技を乱発する試合になど騙されはしない。
そういう私たちの世代が満足するプロレスが、ひょっとして西村修の「無我」にあるのではないかと少し期待している。

(2006年07月22日投稿)
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ビル・ロビンソン

ロビンソンの名勝負といえば猪木とのフルタイム戦が有名である。
流れるような技術の攻防との評価の試合であるが、実際には、どこかギクシャクした噛み合ない、また、それが試合に緊張感をもたらした魅力的な試合であった。
レスリングのエキスパートであるロビンソンであるが、アメリカンスタイルの試合作りが上手いわけではない。その為、猪木や鶴田とのフルタイム戦など試合後半になるとバテバテの動きで、相手に試合をリードしてもらっていた記憶が強い。
私がロビンソンの事を好きになったのはトーア・カマタやブッチャーとの抗争であった。
後年、アメリカに闘いの場を移したロビンソンであったが、本格的なアメリカのラフファイターとの抗争はこの頃が最初だったのではないかと思う。
圧倒的な紳士の善玉外国人と、異形の流血ラフ.ファイターとの抗争は、互いがアメリカ人同士であったわけでなく、ありそうで無かったカードでもあった。
自らのワンハンドバックブリーカーで膝を痛めたシーンは、今でも記憶に残る。

(2006年07月17日投稿)
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ハッスルについて

私は、ハッスルに出るレスラーたちは、自らの晩節を汚したと思う。
格闘技全盛の現在、プロレスは滅びつつ有るのか、成熟の間際か、分からないが、プロレスファンにとって、もう勝負論やシリアスさなど関係のない世界かも知れない。
けれども、プロレスが意地を張ってでも、カミングアウトしない限り、ファンとプロレスラーの確かな共犯関係は存在しているのである。
その共犯関係の合間に、シリアスなプロレスラーが、インディーに出て際物レスラーたちと相撲のしょっきりの如く楽しく馬鹿馬鹿しいプロレスを展開するのと、ハッスルに出て完全な喜劇を展開するのとは全く別物である。
北島三郎が鼻の穴を大きく強調した物まねタレントのコーナーに飛び入り出場するのと、北島三郎自らが鼻の穴を大きく強調したメイクでコンサートを行うのとではわけが違う。
格闘技と違う方向に行く事が、お笑いに行く事ではない。
ハッスルに出るプロレスラーたちはハッスルでお笑いを展開して、違う場所ではシリアスさを展開すれば良いと思っているかも知れないが、ハッスルに出た時点で、もう違う場所は無いのである。
長州力が金のためハッスルに出場せざるを得なくなっても、例え入場前に冷やかし茶化しのVTRを流されても、完全に自分のスタイル=長州力を守りきってくれた事は感謝しか無い。
プロレスラーとファンの共犯関係の中で、プロレスのお約束やキャラに対してこぼれる笑いには愛情が溢れているものである。しかし、ファンとの間に共犯関係など無いハッスルのリングのお笑いには、プロレスラーへの悪意しか感じ得ない。

(2006年07月08日投稿)
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インディーのプロレス頭

私はインディー出身者やインディー団体そのものを馬鹿にするつもりは毛頭ないが、新日本があまりにもインディー選手をマットに上げ過ぎ、自らの敷居を低くしつつある事に幻滅を感じつつ有る。プロレス的センス、あるいはプロレスの技量的には、むしろインディー団体の選手の方が上回りつつ有るのが現状である。
今のプロレスに遊びの要素は不可欠なので、柔らかいプロレス頭を築こうと思えば、新日本の新弟子制度やハードトレというものは、それらにとって不要な物でしかない。むしろ頭を固くしてしまう物である。しかしプロレス的なセンスや試合運びの上手さだけなら、学生プロレスの選手の方が新日本の若手より、よほどプロレスラーらしい。
けれども、何が有ってもプロレスラーの分母が鍛え上げられた肉体を前提としていると感じるならば、例え分子の部分で劣っても、上手く柔らかいだけのインディー選手たちと交わる事に拒絶反応を感じても良いのではないかと思う・・・。

(2006年07月09日投稿)
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プロレスの自信

格闘技がブームになってきた数年前、新日本が中途半端な格闘技路線に走り出した事があった。その時、多くの関係者やファンが、自信を持って本来のプロレスに取り組んで欲しいと訴えた事があった。
上井氏が退社以後、新日本はその言葉通りに本来のプロレスに路線変更を試みているが、何か本来のプロレス、自信を持って欲しいプロレスというのをはき違えているように思えて仕方が無い。
格闘技に対抗すべきプロレスの要素にギミックという物がある。
新日本に新日本らしいギミックがあるとすれば、殺気をはらんだ決闘ムードこそ、ふさわしいと思う。
その殺気がギミックであれ何であれ、格闘技の試合でもお目にかかれない物が、かつての新日本には存在した。
それが他団体と差別化出来る新日本の売り物であったのに、それらを忘れ、プロレス回帰=純プロレスと勘違いしているのが残念でならない。
猪木とタイガー・ジェット・シンとの試合はショーマンシップ溢れる最高のエンターティメントでありながら、その殺気や決闘ムード溢れるギミックがもの凄いダイナミズムを生んでいたのだと思う。
単純なエンターティメント性ならばインディーにも勝てないだろうし、試合内容のみで構成する熱闘ならばノアには勝てない。
なのに勝てないものばかりで勝負を賭ける新日本が歯がゆく感じてしまう。

(2006年07月10日投稿)
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プロレス昭和のスターたち

前田日明は私にとって反面教師に等しい部分があるものの、それでも、要所、要所で人生のヒントを与えてくれる良き先輩である。
前田の言葉で一番心に残っている物がある。
感受性のセンサーという言葉を前田日明によって知った。
自分が属する場所や出会いの場で、自分が認められない時、決して自己を否定するでなく、自分と同じ感受性のセンサーを持たない周りを嘆けば良いという言葉である。
一見、自分の評価が足りないのを他人のせいにすれば良いとの言葉とも捉えられるが、自分の信念に基づいた行動に他人の評価など関係ないものである。
プロレスラーに八方美人など有り得ない。
最大公約数のファンに認められようとするレスラーをファンは追いかけたりしないものである。
自分の信念に基づいた行動に、反応する感受性のセンサーを持った人間だけが評価してくれれば良い。

周りに評価されなければ、周りは同じ感受性のセンサーを持たない人間なんだと割り切れば良い。
周囲全ての評価を求めた時、人間は卑屈になって自分らしさを失う物である。
一度きりの人生、卑屈になって、我慢を重ねて何になるのであろう。
必ず、自分を正当に評価してくれる場所が有る。
その場所を探す作業が人生で必要な時もある。


集団の中で孤独を感じる時、私は前田日明の言葉によって本当に救われるときが多い。
猪木しかり、前田、長州しかり、マットの上の勇気だけをくれたわけではない。
最近のプロレスラーが人生のヒントをくれる事など殆ど無くなったと思う。
最大公約数のファンを相手に媚を売る前に、ファンをヤキモキさせ、自身の信念にファンを惚れさせ、ついてこさせるような、あくの強いプロレスラーの出現が待ち遠しい。

(2006年07月25日投稿)


私が生活上の困難に直面した時、まず考える事は、同様の場面に尊敬する人物が直面したならば、どう対処するであろうという事である。
もっとも生活上の困難と言っても、勇気さえ有れば解決出来る事が多い。
そういう場合は特攻精神溢れるプロレスラーの勇姿を思い浮かべるだけで解決する物である。
その勇姿が自分の勇気となり、どんな困難にも当たって砕けろの気持ちを与えてくれるものだ。

ところが社会人になると、玉砕精神だけでは解決出来ない、あるいは、玉砕精神を使う事も許されないような、繊細で不条理な困難事例も多く出てくるものである。
唇をかみしめ、気持ちを割り切る事で、不条理な問題の何らかの解決が得られる場合が多い。
結果、中庸の名の下、空しさ溢れる自分の心を救ってくれるのも、又、プロレスラーである。

その場合のプロレスラーとは前述した特攻精神溢れるプロレスラーたちの勇姿ではない。
組織の不条理の中で気持ちを切り替えて忍ぶレスラーなど最近は殆どいなくなった。
藤波や西村修が「無我」を掲げても、彼らは雄弁すぎる。
私は、ジャンボ鶴田のファイト振りに、大人の心象風景を感じていたものだ。
決して人の悪口や論評を言わず、自分の進む道だけ述べていたジャンボ鶴田の事が忘れられない。
マスコミに乗せられ、口の軽くなったブロレスラーの中で、ジャンボ鶴田だけは、(家庭の場では知る術も無いが)少なくとも公の場では「公人」を守り抜いたレスラーの模範足る人物であった。

(2006年07月13日投稿)
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プロレスの強さのイメージ

新生UWF全盛期、新日本の衰退はひどく三銃士凱旋までの冬の時代は厳しいものがあった。UWFがあれだけ隆盛を誇り、従来のプロレスの勝負論が何の意味も無くなりつつ有り、このまま新日本は衰退の一途を辿るかと思わせた。
しかし、東京ベイNKホールでのエポックメーキング的な興行をきっかけに一気に新日本は90年代のメジャー団体のイメージを確立してしまった。
ポスターのデザイン、第一試合からの入場テーマ、フィニッシュ後に流れる勝利者テーマ、そして新しい会場の開拓、興行形態の一新と、老舗団体ながら新日本は大型新団体の如く新鮮なイメージ溢れる明るいリングの光景を取り戻した。
揃いつつ有るタレントに加えて、イベントイメージを一新した事で、ソフトとハードのバランスが満点の大型メジャー団体としての新日本が誕生した日でもあった。
しかし、現在の格闘技ムード満点の現在と比べても遜色の無いほど、プロレスの存在理由が見いだしにくい当時に有って、明るいプロレスを展開する新日本のレスラーたちが何故、多くの新しいファンの支持を集めたか・・・理由はUの戦士たちに比べても、明るいプロレスを展開する新日本の新しいタレントたちが強さの幻想を持っていたからに他ならないと思う。
実際はどうあれ、一般のファンには橋本や武藤、蝶野の大型感、そして脇のライガーや馳、佐々木健介といった出来る選手たちの層の厚さに、UWFの選手に対しても色あせない個々や団体の強さの幻想感を持っていたからに他ならない。
後の新日本対UWFインターの歴史的な対抗戦のカード発表の際、UWFが新日本にある程度、迎合する事は皆、承知ながら、イメージ的にも新日本はUインターを圧倒した。
そのイメージが何であるかを考えてみると、再び、格闘技にも負けない「強さに自信」を持ったプロレスを展開出来るのではないかと思った。

(2006年07月17日投稿)
posted by shingol at 07:12| Comment(0) | アーカイブズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

橋本真也とエプロンサイドの攻防

昭和のプロレスにおいては、試合の序盤と終盤の節目としてエプロンサイドでの攻防が行われる事が多かった。
静かな展開の後、場外戦を経て、どちらか一方が先に先にリングに戻る。
現在なら、ここで場外の相手に向かって飛び技を放つだろうが、
以前はリングに戻った選手は相手がエプロンサイドまで上がってくる間、場外カウントを数えるレフリーと共に静かに相手を待つ。
攻撃するだけでなく、攻撃の為の殺気を溜め込む時間がプロレスには必要である。
私は、このプロレスならではの「静かな間」や「溜め」にクライマックスシーンへの緊張感や胎動感を覚えたものだ。

そして、相手の髪の毛をロープ越しに鷲掴みにしてエプロンを走り鉄柱にぶつけたり、あるいはエプロン越しにブレーンバスターを放ったりのシーンにダイナミズムを覚えた。
エプロンサイドはリングと同じ高さでありながら、リングの中ではない。
一つの試合の特別な攻防の場としては、視覚的にもスペクトル感を演出しやすい場所である。

橋本が引退を賭けて小川直也と闘った時、先にリングに上がった小川に対して入場花道と合体した広いエプロンサイドから水面蹴りを放った。
攻守のスイッチでは無く、試合構成のスイッチが静から動へと動き出す最高のシーンであった。
橋本の試合は、そういう「静かな間」や「溜め」から一気に爆発に転じるシーンが多かったが、彼がまた「昭和のプロレス」そして猪木を見て育った世代だということがよく分かる。

(2006年07月15日投稿)
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ポール・オーンドーフ

私が小学校5年か6年の頃、「燃えなくなった猪木と闘わせたい選手10傑」というような記事を雑誌「ゴング」が掲載した事が有った。
小林戦、大木戦、ロビンソン戦以降、そのカリスマ性に見合うベストバウトを提供出来なくなった猪木に対しての雑誌「ゴング」の渇望記事であったが、その中に、まだ見ぬ強豪ポール・オーンドーフの名前があった。ゴングによれば、アメリカでは珍しい地味で無骨なストロングスタイルの若手だという事であった。
それから以後、オーンドーフのインタビューが別冊「ゴング」に掲載された。
自分の師匠がヒロ・マツダであること。そして師匠の国に遠征したい希望が語られていた。
それから、しばらく当時の新日本の年末の大型シリーズ「闘魂シリーズ」に登場した後、しばらくして二度目の来日を果たした。
最終戦の蔵前で前田日明に秒殺され、そのアメリカのストロングスタイルの看板は何だったのかとがっかりもした。
かなり月日が経つて、私も社会人として10年以上のキャリアを重ねるようになった。
ポール・オーンドーフは引退して、WCWの現場監督となっていた。
我が侭言いたい放題の暴れん坊ビッグ・バン・ベイダーに対して突如、ストレートパンチを見舞いベイダーを解雇に追い込んだ記事が「週刊ファイト」に掲載された。
私は、あのベイダーを怖れぬアメリカの昭和のプロレスラーの存在に小学生の時に見た「ゴング」の記事の真意を見た気がして嬉しさを感じた。

(2006年11月27日投稿)
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ミスター・レスリング

私は日本人、外国人選手問わず昭和のプロレスラーの体型が好きである。
やや履き込みの深いタイツの上に若干の脂肪が乗っかっている体型に懐かしさを感じる世代である。
昭和のプロレスは紛れも無く有酸素運動のスポーツであり、無酸素運動的な息の上がる必要は無かった。筋肉は特に必要でなく、かといって有酸素運動の代表のスポーツであるマラソンの選手のようスリムな体型ではプロレス特有のコンタクトに耐えられない。
激しい当たりや大技に耐えられるのは受け身の技術以上に体を包む脂肪である。
そして、その脂肪が守るのは試合の時のレスラーの体だけでは無かったはずである。
これまたプロレス特有の激しい巡業の日々に耐えれる体を守るためには、ややカロリー過多のエネルギーが必要であった気がする。
飲んだくれビール腹の昭和のプロレスラーも懐かしいが、私は節制しながらも必要なだけの脂肪を身にまとったプロレスラーの体型が好きである。
ミスター・レスリングはゴム男の異名を取ったレスリング出身の技巧派であった。
レスリング出身の選手はジャンボ鶴田、ジャック・ブリスコ、バックランドなど完全な有酸素運動のアメリカンスタイルをこなす選手が多かった。
ミスター・レスリングもアマチュアレスリングとは正反対の有酸素運動としてのアメリカンプロレスのエキスパートらしく古き良き時代のプロレスラー体型そのものの選手であったが、私は何よりあの真っ白なマスクとタイツ、シューズの出で立ちを今になってもの凄く格好よく感じてしまう。

(2006年12月01日投稿)
posted by shingol at 02:57| Comment(0) | アーカイブズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする